2012年9月6日木曜日

マレーシア クアラルンプール旅行の記録(5)

※以下は2010年10月の記録

 いちおう現地で地図も購入したが、微妙にるるぶの方が詳しい。細かい道まで丁寧に書かれている。なのでるるぶの地図をメインに現地地図を併用というかたちで行動していた。
 るるぶによると国立歴史博物館は「1910年に建てられた銀行を利用」したものらしい。当時の建築物はイギリス占領下のいわゆるコロニアル調。コロニアルとか綺麗な単語っぽいけど、言ってしまえば植民地建築。非常に美しいがなんとも複雑な気持ちである。



 最寄り駅のマスジッド・ジャメ駅に到着。すぐ近くにムスリム寺院のモスクが。これまた感動の美しさ。シンガポールで見てたモスクのイメージとは若干違ってました。シンガポールのはどこかずんぐりむっくりしていて、あまり美しくない。


 これはダメよ、という色々な注意書きが。


 どうも派手な服装で入るのは禁止されている様子。その時はちょっと明るい模様のシャツを着ていたので、一応近くの人に「この服、大丈夫ですかね」と聞いてみた。マレー人夫婦に「まあ、いいんじゃないかな」というお墨付き(?)を頂いて、さっそく中に……。と思ったら警備員さんにはばまれる。やっぱり服装がダメだったかと思ったがそうではなく、単に観光客が入れる時間を過ぎてしまっていたとのこと。なので中の様子は全く見れませんでした。残念。

 ともあれ当初の目的である国立歴史博物館に向かう。ムルデカ・スクエアという名前の独立を記念した広場のすぐ近く。
 広場の近くには上に載せた写真のようなコロニアル調の建物が沢山ありました。このあたりとツインタワー周辺だけを回っていたら「マレーシアは本当に美しい国だった!」とだけ感じていたことでしょう。少し裏に入れば薄汚れた町並みということは前述の通りです。
 綺麗だなあと色々眺めて歩いたのですが、どうも肝心の博物館が見つからない。と言うか、どうもそれらしき建物が"改装中”でしかも"レストランの看板”が付けられている……。そして最初に見たはずの博物館の面影がどこを探しても見つからない。地図をよく調べてみる。失敗しました。
 どうやら僕は「国立歴史博物館」と「国立博物館」をごっちゃにしてしまったようです。最初に僕が行ったのが「国立博物館」で、広場近くにあるはずだったのが「国立歴史博物館」。そしてその「国立歴史博物館」は改装中というかすでに廃止となったように見える。

 とは言えこんなことで落ち込んでいてもしょうがない。むしろ綺麗な建物を沢山見れて良かったと開き直り、改めて国立博物館を目指すことにしました。また電車で行こうとしたのですが、ピーク時なのか切符を買うのに長蛇の列だったため断念。とっととタクシーを拾うことに。

 これまでタクシーには数度乗り、値段はだいたい15MYR(375円)~20MYR(500円)。どれもだいたい同じ距離。そんなわけでそのくらいの相場だろうと思っていましたが、今回拾ったタクシーはメーター付き。値段のことは言わずに黙ってメーターに従ってみることにしました。すると結果は驚きの低価格、7MYR(175円)。めっちゃぼったくられてた!(笑) なんとなく低価格で乗せてくれた運ちゃんが不公平という謎の平等感により、10MYR(250円)払って「釣りはいいよ」と言いました。すると運ちゃんにっこり「ありがとう」。いえいえこちらこそ適正価格を教えてもらってありがとうだよ。次に来たら価格交渉はきちんとやろうと決意しました。




 色々ありましたがようやく当初の目的である、国立博物館に到着しました。わき目も振らずに入り口へと向かい、チケットを買おうとすると何故か係の兄ちゃんに止められる。兄ちゃんが言うには「あと30分で閉館」だそうだ。僕が「分かった、とりあえずチケットを買って急いで見るよ」と言うと兄ちゃんはにっこり笑って「いいって。君の分は僕が払っておくよ」と。おお、なんと優しい青年だろう。もちろん払っておくようなことはしないだろうけど、30分しか観れない僕への気遣いであることは間違いない。とにかく時間もないので「さんきゅー」と言って早々に博物館内へと入っていった。

 中はマレーシア地域の原始時代から現代に至るまでの歴史を伝える陳列物が並んでいた。時間もないので細かく見ることは出来なかったが、植民地化以前のものは刀剣が多く並んでいた。それと貴金属。
 占領の歴史が全体の半分くらいを占めていた。まず現れたのがポルトガルで、日本人なら誰でも知っているフランシスコ・ザビエルの名前も載っていました。日本人が案外知らないことだけれど、当時のキリスト教の布教は占領とセットです。住民をキリスト教徒にしてしまうことで、精神支配をし、植民地支配へと持っていく。そういう背景があるから秀吉のバテレン追放令があって、江戸時代の島原へと繋がっていく。
 ちなみにもうちょっと詳しく話すと、当時の宣教師たちは日本人を本来の意味でのキリスト教徒にすることを諦めています。と言うのも日本には神道が根付いていて、たとえキリスト教徒になっても仏や神道における神への畏敬は消え去らなかった。キリスト教は一神教なので、他の宗教は自動的に邪教になるはずだけれど、そういうのが全く通用しない。それが日本だったのです。だから宣教師たちはそういった特殊なメンタリティを許容した上で、キリスト教を広めることにしたそうです。

 日本のマレーシア占領。


 日本は太平洋戦争時にマレーシアを占領しましたが、そのことに関する記述は思ったほどに多くありませんでした。期間としては短いので妥当なのかもしれません。てか展示物が日本刀くらいで、日本が何しに来たのかわりと謎(笑)。以下、日本刀(サムライ・ソード)の説明文。

SAMURAI SWORD
 This Samurai sword symbolizes the chivalry and bravery of Japanese army during the World War 2 (1941-1945).Every Japanese army officer was provided with a samurai sword. This sword was feared by the locals as it was used for beheading.

サムライ・ソード
 このサムライ・ソードは第二次大戦中、日本国軍人の武士道精神と勇敢さを象徴するものでした。全仕官がサムライ・ソードを与えられています。サムライ・ソードは打ち首刑に使用されたため、地元住民にとって恐怖の対象でした。

 せめて「カタナ」と呼んでほしいところ(^^; 今の日本人にとって日本刀は美術工芸品のイメージが強いと思いますが、当時はもっと荒々しいイメージが強かったのでしょうね。実際のところ大戦末期に仕官が持ち歩いていた日本刀は「実用性に於いては究められたものの、刃紋を有しないなど見た目の美的要素は皆無な物が多(Wiki)」かったらしいので、それも仕方ないことでしょう。

 ナジブ・ラザク(Mohd Najib bin Tun Haji Abdul Razak、1953年7月23日 - ) マレーシアの現首相。



 次回、ようやく最終回。マレーシアでショッピングです。

マレーシア クアラルンプール旅行の記録(1)
マレーシア クアラルンプール旅行の記録(2)
マレーシア クアラルンプール旅行の記録(3)
マレーシア クアラルンプール旅行の記録(4)
マレーシア クアラルンプール旅行の記録(5)
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